CANADA/カナダ(仏) 1535年、ふたりのインディアンの若者が、フランスの探検家ジャック・カルチエに「カナタ」への道を教えました。その時、ふたりはスタダコナの村のことを言っていたのでした。 「カナタ」は、ヒューロン・イロクォイ族のことばでは、単に「村」や「村落」のことをさすものでした。しかし、別の言い方がなかったために、カルチエはスタダコナ(現在のケベック・シテイにあたる地域)の呼び名としてだけではなく、種族の酋長ドンナコナの土地全体を「カナダ」ということばで呼びました。 この名前は、まもなくもっと大きな地域をさすようになりました。1547年の地図では、セントローレンス川の北側全体が「カナダ」と示されています。
「カナダは先住民、仏語圏、英語圏という三つの土台の上に建てられ、常に新しい試みに挑み続けています。 これは弱点ではなく、強みです。我々が今日も創造を続けているのは、450年前、フランス人が初めて先住民に出遭ったとき、政治的試みとして始まったものです。 その複雑で歴史的な試みは、世界的にも大きな成功を収めていると言えるでしょう。 私達は暗闇の中を手探りし、光に向かって、カナダの文明の創造の道をたゆみなく歩んできました。」(エイドリアン・クラークソン総督、1999年10 月7日 (在日カナダ大使館WEBサイトより) |